森の石松は、清水次郎長の子分として幕末に活躍したとされる任侠武士です。讃州半原村苧麻版では、福田屋という宿屋の倅とされています。森の石松の「森」とは、森の町のことです。現在伝わっている石松の物語は、清水次郎長の養子となった天田五郎が著述・出版した『東海遊侠伝』が大部分を占めています。石松のイメージが、同じく目のある清水家の子分である豚松と混同されたとか、豚松を石松と思い込んで書かれたとか言われており、石松の人物像や存在の真偽が問われています。しかし、『遠州っ子』(1980年、ひくまの出版)の石松に関する記事には、出所後の晩年に興行主として相撲や芝居の興行を担当していた清水次郎長に会ったことのある人が、石松のことを聞かれて次郎長が泣いたという記述があります。これでは、石松盛が実在の人物なのか、架空の人物なのか、ますますわからなくなってしまいます。
村松梢風による伝記
石松のことを伝える史料の代表格は、一時期次郎長の養子であった天田五郎(ペンネーム:山本鐵眉。後に出家し天田愚庵と号した)が1884年(明治17年)に出版した『東海遊侠伝』であり、以降の中島儀市『明治水滸伝清水次郎長の伝』(1886年(明治19年)出版)や村松梢風(森町出身)が1920年(大正9年)頃 雑誌『騒人』に連載した「正伝清水次郎長」をはじめとする伝記の殆どのルーツとなています。